経済

第66回 財政破綻論に対するMMTによる反論

MMTの主張

第65回のブログに載せた、MMTの主張、すなわち、ランダル・レイ氏の著書「現代貨幣理論入門」の要旨を振り返ります。

1.過去、4000年間、我々の貨幣制度は「国家貨幣制度」であった。

国家が計算貨幣を決め、それを単位として表示される義務(租税、地代、罰金など)を課し、そうした義務を果たすための支払い手段となる通貨を発行する制度である。

2.政府が支出して通貨を生み出し、納税者が国家への支払い義務を果たすためにその通貨を使っている。

3.主権を有する政府が、自らの通貨について支払い不能になることはあり得ない。自らの通貨による支払い期限が到来したら、政府は常にすべての支払いを行うことができる。

4.政府が支出や貸出を行うことで通貨を創造するのであれば、政府が支出するために租税収入を必要としないのは明らかである。さらに言えば、納税者が通貨を使って支払うのであれば、彼らが租税を支払うようにするために、まず政府が支出をしなければならない。このことは、200年前では明らかであった。国王が支出のために文字通り硬貨を打ち抜き、その後、租税の支払いを自らの硬貨で受け取っていた。

5.政府は支出するために、自らの通貨を「借りる」必要がない。そもそも、まだ支出していない通貨を借りることなどできはしない。このため、政府による国債の売却は借入れとはまったく異なるものである。

6.政府が国債を売却する際、民間銀行は中央銀行に保有する準備預金を使って国債を購入する。中央銀行は、国債を購入する銀行の準備預金から代金を引き落とし、銀行に国債を振り替える。これは、国庫(政府)による借入れと理解するよりも、あなたがより多くの利息を得るために、自分の預金を当座預金口座から貯蓄預金口座に移すのに似ている。国債とは実は、準備預金よりも多くの利息を支払ってくれる、中央銀行による貯蓄預金口座にほかならない。

7.国債の売買は、金融政策オペレーションと機能上同等である。

中央銀行と民間銀行の国債売買により、翌日物金利の誘導目標を達成するのを助ける。

8.最近のアメリカでは、FRB(アメリカの中央銀行)が、準備預金に利息を付しているため、準備預金を持つことは、国債の保有と機能上同等となっていることから、政府支出を「ファイナンス」するにも、中央銀行の金利誘導目標の達成を助けるのにも、国債は必要なくなっている。

9.政府は、銀行、企業、家計、外国人が利息を得るための手段として、利息の付く国債を提供している。これは政策上の選択肢であって、必要不可欠なものではない。政府は支出をする前に国債を売却する必要はない。それどころか、銀行が国債を購入するのに必要な現金通貨や準備預金をまず政府が供給していなければ、国債を売却することもできない。政府は、支出すること(財政政策)もしくは貸すこと(金融政策)のいずれかによって、現金通貨と準備預金を供給しているのである。だから。租税と支出の関係-徴税は支出の後に生じる-とまったく同じように、国債の売却は、政府が現金通貨や準備預金を支出し、または貸し出した後に生じるものだと考えるべきである。

10.150年前、銀行は、融資を実行する際に独自の銀行券を発行していた。借り手は、銀行券を銀行に渡すことで借入を返済した。借り手が銀行券を使って返済できるようになるためには、先に銀行が銀行券を創造しなければならなかった。今日は、銀行は融資を実行する際に預金を創造し、融資はそうした銀行預金を使って返済される。

11.租税制度の主な目的は通貨を「動かす」ことである。

人々が主権国家の通貨を受け取る理由は、その通貨で租税を支払わなければならないからである。租税義務は、その支払いに使われる通貨に対する需要を生み出す。租税の本当の目的は、政府に支出の「財源」を供給することではない。政府自身の通貨に対する需要を生み出すことで、政府がそれを支出手段として(あるいは貸出手段として)使えるようにすることである。

12.国家の貨幣を最上位とする貨幣ピラミッドが存在する。

13.公共目的の政府支出は、少なくとも国全体の経済資源が完全雇用になるまでは有益である。

14.我々が今直面する金融と経済の苦難に対する解決策は、主権通貨の発行者の手を根拠のない赤字や債務の上限で縛ることではない。

均衡予算が意味するのは、政府の支出によって供給された政府の通貨がすべて納税により「返却されて」しまい、その結果非政府部門には何も残らない-「雨の日」のために取っておく余裕資金がない-ことである。

政府の債務(現金通貨、準備預金、国債を含む)は非政府部門の金融資産である。政府の赤字は非政府部門の黒字に等しく、その結果所得が生まれて貯蓄になる。貯蓄とは政府に対する債権であり、最も安全な資産である。

主権を有する政府が自らの通貨で支払い不能になり、期日における支払いが意図せず滞ることなどあり得ないからだ。

財務省の財政破綻論

以下は、財務省のホームページにある有名なワニの口。

タイトルはどのくらい借金に依存してきたの

これまで、歳出は一貫して伸び続ける一方、税収はバブル経済が崩壊した1990年度を境に伸び悩み、その差はワニの口のように開いてしまいました。また、その差は借金である公債の発行で穴埋めされてきました。足もとでは、新型コロナウイルス感染症への対応のため、歳出が拡大していますと解説。

ワニの口と称されるものは、図を見るとお分かりの通り、一般会計歳出と一般会計税収の差を表しております。一般会計歳出は、ワニの口の上を表し、当該年度の赤字国債が計上されておりますが、不思議なことに、ワニの口の下は、本来であれば、当該年度の赤字国債を組み入れた一般会計歳入とするべきなのに、ワニの口を大きく見せるために、一般会計税収としております。ここに、財務省の意図を感じます。昨年は、コロナの影響で国債発行が108兆円を超え、ワニの口の上が外れそうになりましたが、大丈夫だったようです。MMTは、ワニの口の下が一般会計税収であっても、一般会計歳入であっても、また、ワニの口の上が外れそうになっても、ワニの口が開くことに、全く問題ないと主張しております。

日英米のように自国通貨を発行できる政府(中央政府+中央銀行)の自国通貨建ての国債はデフォルトしないので、変動相場制のもとでは、政府はいくらでも好きなだけ財政支出をすることができる。財源の心配をする必要はないと。

中野剛志氏によると、

「経済学の世界では、よく「フリーランチはない」と言われますが、国家財政に関しては「フリーランチはある」んです。自国通貨発行権をもつ政府は、レストランに入っていくらでもランチを注文することができる。カネの心配は無用。ただし、レストランの供給能力を超えて注文することはできませんけどね。」

政府はいくらでも財政支出をすることはできるが、制約があるとすれば、国の供給能力であるということです。

さらに、中野氏は続けます。

「日本政府はデフォルトしないから、いくらでも財政支出できる」というのは、MMTを批判する人々も同意している、あるいは同意できる、単なる「事実」を述べているにすぎないんです。」

以下の図の通り、日本の「GDPに占める政府債務残高」は240%であり、主要先進国と比較しても最悪の財政状況です。

しかし、「GDPに占める債務残高」は、日本は断トツの最下位なのに、なぜ、ギリシャやイタリアが財政危機に陥ってるのか。

日本とギリシャが同じならば、日本の財政は2006年くらいの時点でとっくに破綻してなければなりません。

その理由は、ギリシャとイタリアはユーロ加盟国で、自国通貨が発行できないからです。

ユーロを発行する能力をもつのは欧州中央銀行だけであって、各国政府はユーロを発行することはできません。

ですから、ユーロ建ての債務を返済するためには、財政黒字によってユーロを確保するほかなく、それができなければ財政危機に陥ります。

また、自国通貨と交換レートが固定された外貨債務でもデフォルトは起きます。2000年代のアルゼンチン、1980年代のメキシコ、1990年代のタイがそうです。

日本は、ほぼすべての国債が自国通貨建てですから、自国通貨を発行して返済にあてればいい。

これは財務省も認めていることで、2002年に外国の格付け会社が日本国債の格付けを下げたときに、財務省は「日・米など先進国の自国建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」という反論の意見書を出しました。MMT批判者も、「自国通貨を発行できる政府の自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という「事実」は受け入れているのです。

財務省の財政破綻論に対して、MMT「現代貨幣理論入門」は、以下のように反論します。

繰り返しになりますが、3.主権を有する政府が、自らの通貨について支払い不能になることはあり得ない。自らの通貨による支払い期限が到来したら、政府は常にすべての支払いを行うことができる。

4.財務省は租税収入が政府支出の原資であり、均衡させる必要があると言っているが、政府が支出や貸出を行うことで通貨を創造するのであれば、政府が支出するために租税収入を必要としないのは明らかである。さらに言えば、納税者が通貨を使って支払うのであれば、彼らが租税を支払うようにするために、まず政府が支出をしなければならない。このことは、200年前では明らかであった。国王が支出のために文字通り硬貨を打ち抜き、その後、租税の支払いを自らの硬貨で受け取っていた。

5.政府は支出するために、自らの通貨を「借りる」必要がない。そもそも、まだ支出していない通貨を借りることなどできはしない。このため、政府による国債の売却は借入れとはまったく異なるものである

14.我々が今直面する金融と経済の苦難に対する解決策は、主権通貨の発行者の手を根拠のない赤字や債務の上限で縛ることではない

均衡予算が意味するのは、政府の支出によって供給された政府の通貨がすべて納税により「返却されて」しまい、その結果非政府部門には何も残らない-「雨の日」のために取っておく余裕資金がない-ことである

つまり、

国家の経済運営を企業経営や家計と同じ発想で考えるのは、絶対にやってはならない初歩的な間違いです。なぜなら、政府は通貨を発行する能力があるという点において、民間企業や家計とは決定的に異なる存在だからです。

個人や民間企業は通貨を発行できないので、いずれ収入と支出の差額を黒字にして、そこから借金を返済しなければならないのは当然のことでが、通貨を発行できる政府には、その必要はありません。国家は自国通貨を発行できるという「特権」をもった存在ですから、自国通貨建ての債務がどんなに積み上がっても、返済できないということはあり得ないのです

国債債務が増えると、民間の金融資産が逼迫し、国債を引き受けることができなくなり、国債金利が高騰するは嘘!

また、財務省は財政破綻の根拠として、以下のように喧伝してきました。

いまの日本には、民間の金融資産(預金)が豊富にあるから、銀行は国債を引き受けることができますが、いずれ民間の金融資産が逼迫してくれば、国債を引き受けることができなり、国債金利が高騰する。

確かに、1990年代から政府債務残高がどんどん増えて、国債金利が高騰すると言われ続けてきましたが、以下の通り長期国債金利は下がり続けています。金利は、世界最低水準で、ついにはほとんどゼロにまで下がっています。

長期国債金利が上がらないのは、政府の国債発行プロセスを見れば理解できます。

日本政府が仮にデフレ対策として公共事業をやることにします。

政府と銀行は日本銀行に当座預金を持っており、銀行の当座預金は日銀が提供することが前提になります。

政府が公共事業をやるために国債を発行します。

銀行が国債を買い入れると銀行保有の日銀当座預金は、政府の日銀当座預金に振り返られます。

政府は公共事業の発注にあたり、企業に政府小切手で支払います。

企業は取引銀行に小切手を持ち込み、代金の取り立てを依頼します。

銀行は小切手相当額を企業の口座に記帳します。この時預金が創造されます。すなわち、民間にお金が渡るということです(あるいは民間の貯蓄が増えるということです)。同時に、日銀に代金の取り立てを依頼します。

政府保有の日銀当座預金が銀行の日銀当座預金勘定に振り返られます。

このサイクルを繰り返しても銀行の当座預金残高は変わらず、金利は変動しません。

何よりも注目していただきたいのは、政府の国債の発行で、同額の民間所得が増えるのであり、今まで財務省が流布してきた国債発行により民間貯蓄が減るという話は全く嘘だとわかります。

従って、国債金利が高騰する理由はありません。

また、国債金利が下がっているのは、日本がデフレであり、日銀の金融緩和によるところが大きいのです。

MMT「現代貨幣理論入門」でも

14.政府の債務(現金通貨、準備預金、国債を含む)は非政府部門の金融資産である。政府の赤字は非政府部門の黒字に等しく、その結果所得が生まれて貯蓄になる。貯蓄とは政府に対する債権であり、最も安全な資産である。

主権を有する政府が自らの通貨で支払い不能になり、期日における支払いが意図せず滞ることなどあり得ないからだ、と述べております。

以上のように、財務省をはじめとした主流派経済学が間違いを犯すのは、そもそも貨幣とは何かについて理解していないことに起因します。

次回のブログでは、貨幣について論じてゆきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカから日本にMMT論争が飛び火して、財務省や主流派の経済学者を中心に、MMTはそんなことは言っていないのに、「野放図に財政出動するなんてバカげている」といった批判が噴出

MMTは、世界中の経済学者や政策担当者が受け入れている主流派経済学が大きな間違いを犯していることを暴きました。しかも、経済学とは、貨幣を使った活動についての理論のはずですが、その貨幣について、主流派経済学は正しく理解していなかったというんです。もし、MMTが正しいとすれば、主流派経済学はその基盤から崩れ去って、その権威は地に落ちることになるでしょう。

 

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