経済

第67回 MMTが立脚している「信用貨幣論」

貨幣とは

商品貨幣論-主流派経済学の貨幣論

主流派経済学の標準的な教科書とされる『マンキューマクロ経済学Ⅰ 入門編』では、貨幣について以下のように書かれています。

「原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった『商品』が、便利な交換手段(つまり貨幣)として使われるようになった。その代表的な『商品』が貴金属、とくに金である。これが、貨幣の起源である。
しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量など貨幣の価値の確認に手間がかかるので、政府が一定の純度と重量をもった金貨を鋳造するようになる。
次の段階では、金との交換を義務づけた兌換紙幣を発行するようになる。こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣となる。
最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となる。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす。」

この主流派経済学の説では、「皆が受け取り続ける限り、紙幣でも貨幣としての価値が担保される」と言う、極めて曖昧で、頼りないものです。もし人々がいっせいに紙幣の貨幣としての価値に懐疑的になれば、その価値は一瞬にして失墜してしまいます。

これが、主流派経済学の基盤となる「商品貨幣論」です。

この「商品貨幣論」は貨幣の価値は、貴金属のような有価物に裏付けられていて、交換の手段として便利なので選んだというわけです。

ところが、1971年にドルと金の兌換が廃止されて以降、世界のほとんどの国が、貴金属による裏付けのない「不換紙幣」を発行しています。しかし、誰もが紙幣というそれ自体価値のないものを貨幣として受け入れております。「皆が相変わらず、紙幣を貨幣として信じている」からなのでしょうか?

商品貨幣論では、なぜ不換紙幣が流通しているのかについて納得できる説明ができません。

貨幣の起源は計算単位としての貨幣

紀元前3500年頃のメソポタミアにおいては、神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収するとともに、彼らに財を再分配していましが、官僚たちが、臣下や従属民との間の債権債務を計算したり、簿記として記録するための計算単位として、貨幣という尺度を使っていました。メソポタミアで出土した粘土板にその記録が遺されています。

また、古代エジプトにおいても、貨幣は、国家が税の徴収や支払いなどを計算するための単位として使われていました。

すなわち、帳簿上の貨幣単位が先にあって、あとで現物貨幣が生まれたのが歴史的事実で、貨幣が物々交換や市場における取引から生まれたとする商品貨幣論は、歴史学者や社会学者らによって否定されております。

信用貨幣論-MMTの貨幣論 貨幣とは借用証書

「貨幣」とは「借用証書」である。

これが、MMTが立脚している「信用貨幣論」という学説です。

イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)に、「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債である」と書かれております。貨幣は「特殊な借用証書」であり、貨幣を創造するということは、負債を発生させるということになります。

債務を負った人は「借用証書」を発行しますが、誰が発行した「借用証書」でも貨幣として流通するわけではありません。負債には常に、「デフォルト(債務不履行)」の可能性があります。ですから、デフォルトの可能性がないとすべての人々から信頼される「特殊な負債」のみが貨幣として受け入れられる訳です。つまり、信用貨幣論によれば、円・ポンド・ドルなどの貨幣は、デフォルトの可能性がない政府(中央政府+中央銀行)が発行する「借用証書」だから、貨幣として受け入れられ、流通しているということになります。

でも、紙幣が額面通りの価値を持つのはなぜでしょうか?

原価が20円と言われる福沢諭吉の1万円札がなぜ1万円としての価値を持つのか?

MMTは、次のように説明します。

まず、政府は円やポンドやドルを自国通貨として法律で定め、国民に対して税を課して、法律で定めた通貨を「納税手段」とします。

それによって、国民にとって法定通貨が「納税義務の解消手段」としての価値をもつことになります。

納税義務を果たすためには、その法定通貨を手に入れなければなりません。ここに、その貨幣に対する需要が生まれるわけです。

こうして人々は、通貨に額面通りの価値を認めるようになり、その通貨を、民間取引の支払いや貯蓄などの手段として、つまり「貨幣」として利用するようになるのです。

要するに、人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるから、というのがMMTの洞察です。貨幣の価値を基礎づけているのは「徴税という国家権力」だということです。

現金通貨と銀行預金

現代経済において貨幣として流通しているのは、「現金通貨(紙幣と鋳貨)」と「銀行預金」とされています。ここで重要なのは、「銀行預金」も貨幣に含まれていることです。銀行預金というものが、給料の受け取りや貯蓄、公共料金の支払いなどに使われており、事実上、貨幣として機能しているからです。

しかも、貨幣の大半を占めるのは、現金よりもむしろ銀行預金のほうです。日本では、貨幣のうち現金が占める割合は2割未満なのです。

最近では、コロナ感染症の蔓延によりキャッシュレス化が進み、現金通貨の使用頻度がさらに低下していることが容易に想像できます。

紙幣には日本銀行券と印刷されているので、紙幣は日本銀行がつくっていることはわかりますが、銀行預金(預金通貨)は銀行が創造していると聞くと驚きますか?

どういうことか、第57回のブログに載せましたが、再度確認しましょう。

銀行からお金を借りるということはどういうことなのか。

私が、仮に車を買いたくて、H銀行に申し込みに行ったとします。

車を買いたいので200万の融資を申し込みます。

銀行員は私を与信にかけ提示した条件で返済できそうであれば融資を認めます。その後、銀行員はどうすると思いますか?

銀行員は私の持っているH銀行の通帳に2000000と記帳します。ただそれだけです。

銀行の融資の場合、極端な言い方をすれば、銀行の手元にお金がなくても通帳に記帳するだけでお金を貸し出すことができます。すなわち、元手になるお金を個人や企業からあらかじめ集めておく必要はないのです。これを信用創造と言います。信じられないかもしれませんが、これが真実です。

借りたいという需要があって初めて預金が生まれるということです。でも、その預金は返済によってなくなります。

イングランド銀行の季刊誌も「商業銀行は、新規の融資を行うことで、銀行預金の形式の貨幣を創造する」と書いていますし、我が国の全国銀行協会が編集している『図説 わが国の銀行』にもこう書いてあります。

「銀行が貸出を行う際は、貸出先企業Xに現金を交付するのではなく、Xの預金口座に貸出金相当額を入金記帳する。つまり、銀行の貸出の段階で預金は創造される仕組みである。」

実は、政府に対しても銀行は、信用創造を行います。デフォルトしない政府には充分な返済能力があるから、銀行は信用創造できるのです。ということは、政府が国債を発行して銀行が引き受けるときの原資は、民間の金融資産(預金)ではないということになります。従って、国債発行は、民間の金融資産(預金)の制約を受けません。つまり、国債をいくら発行して財政支出を膨らませても、民間の金融資産が減ることはありませんから、国債金利の高騰は起こりえません。国債を発行して財政支出をすることで、財政支出と同額の民間の預金通貨は増えることになります。

財務省をはじめとした主流派経済学派は、「貸出しが預金を生む」という信用創造の原理を理解していないために、銀行が国債を引き受け続けると、やがて民間の金融資産が逼迫し、国債金利が高騰すると信じているのです。

 

 

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