小林慶一郎氏と加谷珪一氏の対談
「ハイパーインフレは絶対起きない。MMTを検証する。」とのタイトルで、今から8か月前の文藝春秋電子版で、共に既存の経済学を唱える両氏の対談がありました。
この対談は、MMT(現代貨幣理論)を主張する中野剛志氏と加谷珪一氏との対談に続き行われたもので、MMTを否定する小林氏の主張に加谷氏が、いわば同調するかたちで進められています。
彼らの議論の内容を紹介し、彼らの主張が正しいのか検証していきましょう。
まず、小林氏は、先の財務事務次官である矢野氏の文藝春秋への投稿「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」を受けて行われた中野氏との対談について振り返ります。
小林氏は、MMTが主張する政府の負債は国民の資産だとするバランスシートは認めつつも、一般の物価水準にどういう影響を与えるのかという経済理論については、あまり考えていないと述べています。
MMTを主張する中野氏をはじめとした識者の方々は、ここ30年続いたデフレの原因は民間の需要不足であり、自国通貨建の国債で財政を賄っている国は、財政破綻などありえないのだから、需要を喚起するために政府の積極的な財政出動が必要であると主張しているのです。
総需要が高まれば、当然、物価水準に影響(インフレ方向に向かう)するわけですから、MMTの主張する経済理論の1つであることは確かです。
加谷氏は、小林氏の主張を受けるかたちで、MMTは、バランスシートにどのように記載されるのか、お金がどのように発行されて、どのように積み上がっていくかの事実関係を列挙したものであり、既存の経済学と根本的な違いはないと述べています。
これは、全く的外れな主張で、MMTこそ政府の負債(赤字)は、国民の資産(黒字)であることを明らかにし、お金が信用創造によって生まれることを明らかにしたのです。
既存の経済学が、気づかなかった事実を明らかにしたということです。
次に、小林氏は、信用創造について、MMTが主張するメカニズムと、既存の経済学が主張するメカニズムに本質的に差はないと述べています。
本当にそうでしょうか。
具体的に、両者の主張する信用創造について見ていきましょう。
以下は、79回のブログに載せたものです。
通貨を生み出す方法
通貨を生み出す方法は2つあって、1つは政府が国債を発行し、銀行が国債を買うことによって、政府の日銀当座預金を増やし、それを元に財政支出する場合と、もう1つは、家計や企業の資金需要により、銀行が銀行預金を創造する場合です。
後者の場合、既存経済学は、通貨供給が貸出と預金を生み出すという立場で、これを「外生的貨幣供給論」と言い、MMTは、銀行貸出が預金と通貨を生み出すという立場で、これを「内生的貨幣供給論」と言います。
どちらが、正しいのでしょうか。
昨年の大学共通テスト 現代社会に出題された問題
昨年の大学共通テストの現代社会に以下の問題が出題されました。
外生的貨幣供給論(既存経済学)
信用創造がどのような過程で起こるのかを確認するために、図や説明文を作ったとあります。
図の説明によると、D社がA銀行に1000万円預金することから始まり、各銀行が預金準備率を満たす必要最低限度の準備金を中央銀行に預け、残りの預金はすべて融資に回すとしています。この場合、A銀行は過不足なく準備金を中央銀行に預け、預金増加額のうち残りの700万円すべてを資金運用のためにE社に融資するとしています。また、E社から預金を受け入れたB銀行はA銀行と同様の行動をとり、F社へは中央銀行に預ける210万円を差し引いた残り490万円を貸し出すとあります。このときF社がC銀行に490万すべてを預けた段階で、これら3つの銀行が受け入れた預金の増加額は、A銀行1000万、B銀行700万、C銀行490万、合計2190万となり、D社が最初に預け入れた1000万の倍以上に増えており、社会全体の通貨供給量が増えていることが分かるとされています。
A、B、C銀行ともに、現金を取得した対価として、債務としての預金残高が増えたということです。
ただし、B銀行が取得した現金は、もともとはA銀行がE社に貸出を行ったことで生じたもので、同様にC銀行が獲得した現金も、B銀行がF社に貸出を行って生じたものです。
したがって、銀行システム全体としてみれば、貸出債権という金融資産を取得した対価として、「預金」という自らの債務残高を増やしたと見ることができます。
このように、銀行貸出によって新たなマネーストックが生み出される仕組みは、「信用創造」と呼ばれます。
既存経済学では、大学共通テストの問題のように、民間銀行に外部から新たな通貨が供給されることで、それに基づいて貸出が行われ、その結果預金という貨幣が生み出されるという「外生的貨幣供給論」の立場をとります。
つまり、既存経済学にとって銀行貸出とはあくまでも、預金者から借り入れた「通貨=商品貨幣」を「又貸しする」行為なのです。
したがって、その過程で新たに創造される預金は、預けられた通貨から派生するものとしております。
既存経済学では、外部から通貨が供給されれば、銀行は準備金に相当する額を除き、残りすべてを必ず貸出に回すと想定されております。
それによって、マネタリーベースとマネーストックの間には、必ず比例関係が成立すると。
これを基に、大学共通テストの問いは預金準備率の変化が預金の変化をもたらす、すなわちマネタリーベースの変化がマネーストックの変化をもたらすとしています。
しかし、現実には、家計や企業の資金需要がなければ、銀行は外部から通貨が供給されても、それを全て貸し出すことはできません。
これが、間違いであることは、日銀の大規模金融緩和によって証明されました。すなわち、マネタリベースを増やしてもマネーストックは増えませんでした。
内生的貨幣供給論(MMT)
では、MMTは預金の発生メカニズムをどのように説明しているのでしょうか。
「貸出には原材料である通貨が必要」と考える既存経済学では、A銀行にD社が現金を預け入れるところからスタートします。
しかし、MMTによれば、A銀行が通貨を保有していることを前提としません。
銀行貸出を行う際、通貨は必要ないからです。
A銀行のE社の口座に「預金700万」「貸出金700万」と入力するだけです。
E社は700万の借金を負う代わりに同額の預金を手に入れたことになります。
既存経済学では、A銀行が700万の現金をE社に貸し出すことになりますが、MMTではA銀行がE社に貸したのは現金ではなく無から生み出した預金であり、E社は貸し出された預金と引き換えにA銀行から現金を受け取ったと考えます。
既存経済学では「貸出には原材料である通貨が必要」としますが、そもそもMMTはA銀行に預け入れたD社の現金はどこから来たのだろうかという点にも立ち返ります。
D社の現金は、もしかしたら、元請けのG社から代金として得たもので、G社が工面した現金は、D銀行から借り入れたものだったとしましょう。この場合、D社の現金もまた、D銀行の信用創造によって世に出たことになります。
このように、マネーストックが借り入れその他の資金需要に基づいて変動するという考え方は、「内生的貨幣供給論」と呼ばれております。
ここで、もう一度整理してみます。
銀行預金とは
既存経済学は、通貨供給が貸出と預金を生み出すという立場で、MMTは、銀行貸出が預金と通貨を生み出すという立場です。
第77回のブログでは、銀行の貸出前後のバランスシートを使って、銀行は借り手の債務(借入金)を購入するため、貨幣として機能する自らの債務証書(預金)を文字通り無から創造していることを理解するものでした。
このように銀行貸出が預金と通貨を生み出すとされ、イングランド銀行の季刊誌も「商業銀行は、新規の融資を行うことで、銀行預金の形式の貨幣を創造する」と書いていますし、我が国の全国銀行協会が編集している『図説 わが国の銀行』にもこう書いてあります。「銀行が貸出を行う際は、貸出先企業Xに現金を交付するのではなく、Xの預金口座に貸出金相当額を入金記帳する。つまり、銀行の貸出の段階で預金は創造される仕組みである。」
「銀行預金とは」の問いに対し、イングランド銀行も全国銀行協会もMMTの見方を支持しています。
共通テストの問題をもう一度振り返ってみますと、E社がA銀行から融資を受けるとき、既存経済学では、D社の預け入れから準備金を除いた700万が貸出の上限ということになりますが、一方、MMTでは、E社が返済できるとA銀行が判断すれば、E社はその限度まで融資を受けることができます。但し、融資額のうち3割は日銀の準備金として預けるのは同じです。
銀行は借り手の債務(借入金)を購入するため、貨幣として機能する自らの債務証書(預金)を文字通り無から創造しているのです。
第77回のブログでは、昨年の大学共通テストの政治経済の問題の中に、銀行の信用創造の理解を問う問題とリフレ派による日銀の量的金融緩和政策がなぜうまくいかなかったのかのヒントになる問題が出題されたことを取りあげました。
一方で、今回取りあげた大学共通テストの現代社会の問題は、出題者が「銀行預金」やマネタリーベースとマネーストックの関係を正しく理解しておらず、共通テストとしては不適切だと思いました。
追加補足)銀行が融資のために預金が必要ないのなら、なぜ預金を集めるのか。それは、預金者の急な引き出しの備えのためであり、足りない場合は、銀行間でのやりとりで融通することもあります。
再び、小林氏と加谷氏の対談に戻ります。
加谷氏は、ベースマネーの増減が実体経済に影響を与えるのかを、小林氏に問いかけます。
小林氏は、ベースマネーの増減が個人や企業の経済活動には影響しない。アベノミクスによって、円安が進み株価が上昇し、市場はインフレ期待が醸成されたが、実体経済には反映されなかったっと述べています。
MMTの信用創造を理解すれば、自明の理です。
加谷氏は、MMTは自国通貨建の国債であれば破綻しないので、国債をいくらでも発行できると主張していると述べていますが、MMTはそんな主張はしていません。
国債発行、すなわち財政出動の限界は、供給力であると述べており、それをやり過ぎてしまえば、過度なインフレになるので好ましくないと述べています。
国債は、どのくらい発行できるかとの加谷氏の問いかけに対し、小林氏は、国債は、将来世代にわたって税収で返していく借金であり、現在から将来にわたっての政府の税収の割引現在価値が、国債の発行の量をファナンスできるまで発行できると述べています。これを超えて国債を発行すると信任が失われて破綻すると。
小林氏は、今国債を発行することは将来世代の負担になると主張します。
既存経済学では、財政支出=税収+国債発行(借金)との考えから抜け出せず、貨幣(通貨)を商品として捉え(商品貨幣論)、貨幣(通貨)を有限なプール論で捉えている訳です。
本来は、財政支出は信用創造による国債で行なっており、国債発行は、貨幣(通貨)発行と同義です。
税はなぜあるのか 税は財源ではない
では、なぜ税は必要なのか。役割とは。
第103回のブログでも述べましたが、
1.政府が発行する通貨に対する需要を生み出す
2.通貨の購買力安定の促進-インフレ抑制効果
民間部門の純貯蓄減少を通じて総需要を減らす-要は景気の加熱を抑制
3.所得と富の分配を変える
所得税や相続税は累進課税 自動安定装置として働く
4.悪い行動を抑止
環境税・たばこ税・酒税・関税
5.特定の公的プログラムのコストをその受益者に割り当てる
などです。
どこの国も国債債務残高は増えている
どこの国も国債の債務残高は増えており、それによって経済成長してきたのです。
以下は、島倉原氏が作られたものです。
2015年の時点で、債務残高は名目金額で明治初期(1872年)の3740万倍になり、実質でも546倍になりました。
また、1970年から2020年までに債務残高は名目金額で166倍になリました。
そして、債務残高が増えても、日銀の国債の買い入れにより、見事に金利はコントロールされております(10年国債金利は0.5%になりましたが)。
正しい貨幣論を理解せよ
国債の発行は、通貨の発行であり、政府の負債は国民の資産です。
政府が充分に財政支出することによって、社会資本を充実させ、教育やさまざまな研究開発レベルを上げ、そして経済安全保障や喫緊の課題である防衛力を強化することができるのです。
これは、将来世代の負担になるのではなく、日本の将来を担う世代への贈り物なのです。
MMTを理解することは、信用貨幣論で成り立っている現実の経済を理解することになり、自ずとそれは、正しい経済政策に繋がります。
国政を預かる国会議員の皆様には、財務省のプパガンダに惑わされず、是非、一度立ち止まって、正しい貨幣論を理解してもらいたいと思います。
もう日本には残された時間がありません!
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